
日本のある天然林では1haあたり約1万本の植物があると聞いた。森林は高木、稚樹、下層植生という複数の階層で構成され、その密度は森林タイプや地域の環境条件によって変わる。多層的な植生構造は、森林の自然な更新を支え、攪乱に対する高い回復力を維持する基盤となっている。
かつてNPO法人自伐型林業推進協会の事務局に属していた時期に、全国各地の山林を訪れる機会があった。江戸時代から続く百五十年以上の樹齢のスギ林や自然林と変わらない植生の豊かさをもつヒノキ林もあれば、いわゆる手入れをされないまま放置された人工林、まばらに木々が残り粗い作業道が崩れる皆伐後の現場などを見た。
日本は世界的にも雨が豊富で、長期間土地を放っておけば植物が生えて草原になり森林に遷移していく。人間はその森林から果実やきのこなどの食料を得て、木を切り出し建築材や燃料として使ってきた。自然の回復力を利用して生きるために必要な植物、樹木を育て管理するようになった。地域の山林は歴史を通じて食とエネルギーの供給源であった。日本全国で地域毎の山林の影響を受けた文化が育まれた。
燃料革命により今の日本人の生活は森と距離を置くようになったが、自分が子どもの頃までは田舎の祖母の家には薪をくべるかまどがあったし、五右衛門風呂が残っていた。森林に対する人々の関心は徐々に薄れ、都市住民はもとより中山間地域に住む人々ですら先祖代々管理してきた山林の場所すらわからなくなってしまった。何千年と森とともに生きてきた人間が、この数十年で日本の森林を顧みなくなった。
このような社会の潮流ではあるが、コロナ禍の影響もあり新たな地方での生き方の選択肢として林業を生業の候補とする人も確実に増えたように感じる。自らがコーディネートに関わった林業研修には多くの応募があった。林業研修の講師は林業の道を究めつづけた熟練者であった。どの講師も自然に対する畏敬の念をもち、八百万の神・精霊に対する信心深さを持ち合わせていた。林業は労働災害も多く、日々の施業は命と隣り合わせである。研修では、目の前の木だけでなく森林・土壌・水・地形・天候などあらゆる状況から判断して施業を行うこと、目の前の利益に追われないこと、道具を大切に使うことなど、林業技術だけでなく、森との向き合い方が語られ、人生論まで学ぶ機会となっていた。
今、伐採して利益を得る樹木は数十年以上前に植えられた木であり、自分たちは将来世代のために森を豊かにしていく責務がある。将来の森の姿を想像して、施業方法を自らが決めて実行していく。このような小規模林業の現場は創造的で夢があり、研修生も決して儲かる林業ではないが、やりがいを感じて実際に参入していく。自分はこの研修から離れてしまったが、日本人が古くから受け継いできた森との関係、自然と調和した暮らしの文化(ミーム)を未来世代に伝えていくことは非常に重要と思っている。国土の約7割を森林が占め、その4割は人工林である。人間の手の入った森林を天然林の姿に戻すにしても放置するわけにはいかない。この地域の森林の管理の担い手は、まさにその地域に住む人であり、彼らの創造的な仕事の先に未来の森があるべきだ。
2100年には日本の人口は今の半分の6000万人になると予測されている。急速な人口減はほぼ確実であり、このような中で将来世代が担うのは単なる経済活動の維持だけではなく、地域毎に育まれた文化の多様性の維持の担い手としての役割も期待される。人間一人ひとりの価値が高まると言っても過言ではない。今の時代に経済的な価値だけを追い求めれば、大都市や工業地域に人々は集住する。しかし、地域の文化の維持という点に価値を置き、自らがその担い手になる場所を選んで住む人が増えれば、文化の多様性の維持にも希望の光が差す。
未来世代のための森づくりという創造的な仕事に魅せられた世代が移住し、森に育まれた地域毎の文化を受け継いでいく。このような美しい流れを創り出すには、地域毎の文化や自然など多様な価値の理解を促すことと、自らの人生を主体的に考え、行動していく生き方を拡げていくことが大事だ。
昨今は、複業・ダブルワークや二地域居住など、会社から与えられる仕事よりも自らの仕事を創っていく動きも活発になっている。関心ある世界に実際に飛び込まなければ新しい出会いもないし、人生の師にも会えない。いろんな世界を知り行動することで、自らが生きる意味を見つけることもできる。
多様な価値を理解し自ら主体的に考えて行動する人が増えれば、その一部は日本各地の地域文化の担い手として活躍してくれるはずだ。