
自然災害・金融危機・食料不足・戦争などニュースが途切れることはないが、歴史を遡るとそんな出来事は世界のどこかで常に起こってきていたし、過去の方が科学技術や医療は発達していなかったから、よっぽどハードだっただろうと思う。80年前の日本には原爆が落ちて、国中が焼け野原になった。先人の努力の甲斐もあり、驚異的な経済的発展を遂げ物質面でも格段に豊かになった。本当にありがたいことだ。しかし、物質的な豊かさの反面、精神的な豊かさの欠如、社会的貧困など現代社会は多くの課題を抱えている。
国のGDPの高まりと同時に幸福感は増大するが、一定水準に達すると、幸福感の増大は頭打ちになるようだ。幸福概念は「個人が自由であること」「共同体としての善なるあり方であること」の大きく2つ考え方に分かれ、日本人の幸福感は、欧米の自己実現や自尊心よりも、関係性調和や人並み感といった感覚が要因となる傾向があるらしい。世の中全体でみれば、物質的には豊かになり、個人としての自由も享受できているが、社会の共同体としての幸福の追求は市場原理主義の下で放置されてきたように感じる。
いまここで、ふと我に返り、自分の回りを見わたすと、目の前には、PC、机、部屋、家、外に出れば、車、道路、鉄道など、自分が生きるために必要なもの、社会活動のために必要なインフラがある。この自分を取り囲む全てには、それを設計し製作に携わった人々がいる。この視点を拡大するならば 、今生きている自らの身体を形づくる物質、呼吸する空気は、この地球にある動物、植物などの生命体が源となっている。過去の全ての先に今があり、今が未来を創っている。
人間一人ひとり、自らが過去から連綿と続く命の先にいる存在で、今この現代に生きていることの奇跡に気付くことができれば、地球という共同体の中で自らが生かされていることに幸福感を感じられると思う。目の前の出来事に不安を煽られたとしても、幸せかどうかは自分が決めるものだ。幸福感はあくまで主観的なものだから。
今の自分の意識が未来の全てにつながることに気付き、いま共にある存在すべてに敬意をもち感謝する意識が拡がっていけば、「みんな楽しい未来が創られる」に違いない。